高校の二次方程式当たりで急に現れる「虚数 \(i\)」。
2次方程式で解の公式を使う際にルートの中身が負になってしまうときに出てきましたね。
「根号の中身が負、つまり二乗したら-1になる数を虚数\(i\)とする」
\(i^2 = -1\)
世の中には2乗したら-1になる数は存在しないので、存在しない数として認識されていますが、これが非常に混乱をさせるわけです。「存在しない数なのに普通に四則演算もしているし、、」みたいな感じで。
ここで少し虚数について深堀していきたいと思います。
虚数の定義
改めて、虚数の定義は2乗すると-1になる数です。
\(i^2 = -1\)
となる\(i\)を虚数(単位)と呼ぶことしています。
これは文字のように扱うことができ、四則演算も同じようにできます。
この虚数ですが、実は存在すると捉えることもできるし、存在しないと捉えることもできます。
つまり見方の問題なのです。
虚数が存在するという理由
これは少し歴史をさかのぼる必要があります。(厳密ではないので参考までに。)
自然数の誕生
数字は人間が生み出しました。ものを数えるときに共通する指標が必要で、ほとんどの人間が生まれつき持つ合計10本の手の指を使って、数を数え始めました(実は10進数も指の数からきています)。
これが自然数の誕生です。
数が誕生したことにより、計算が生まれ、方程式も生まれます。
整数の誕生
すると\(x + 2 = 0\)を満たすxが自然数には存在しないこと、つまりマイナスの数の存在が明らかになります。
なのでこれを満たす数を負の数とし、正でも負でもない数を0と決めました。
もちろん、最初は受け入れられませんが、これが実生活では「戻る」「基準より低い」などの意味として定着して理解されるようになりました。(実際にインドで借金として負の数を扱っていました)。
有理数の誕生
そして、\(3x – 2 = 0\)を解くと、整数の範囲では答えが見つかりません。
なので、これを満たすかず\(2/3\)なるものを有理数としました。
もちろん、整数までしか扱っていない時代には受け入れられません。
しかし後々、これが「比率」という意味で取り扱うことができるようになりました。
実数の誕生
次に2次方程式になります。\(x^2 = 2\)を満たす数は有理数では見つからないです。
なので、これを満たす数\(\sqrt{2}\)なるものを無理数として扱うことになりました。
もちろん、有理数までしか扱っていない時代には受け入れられません。
しかしこれは、「2辺が1の直角三角形の斜辺」として存在しているのは明らかですし、後々これを「無限」や「極限」という意味で取り扱うことができるようになります。
\(\sqrt{2}\)は1.4142…という数列の極限値として解釈できるということです。
では虚数は?
では虚数は?となると、もちろん最初は受け入れられません。
しかし、虚数は直線で考えるのではなく、平面の世界で考えると意味を解釈できるようになります。
そうです、「回転」という意味を持つと解釈できるのです。
平面空間で、ある点に\(i\)をかけると90度回転移動させることができます。
つまり、三角関数と深く関係がある数と言えます。
このように、歴史を見ても新しい数が出てくると、最初は受け入れられません。しかし確かに存在するというのは方程式の結果からわかるのです。
そしていざその数を何らかの方法(\(-1, 3/2など\))で表して使っていくと、後から現実世界で意味を持つものになったという流れがあります。
「虚数」という言葉に惑わされてしまいますが、間違いなく存在しているというのがここまでの味方です。
虚数が存在しない理由
こちらは完全に真逆で、そもそも数というもの自体が存在しないと捉える見方です。
細かく言うと、「数は目に見えない概念的なものでしかなく、人間の世界では触れられない」という解釈です。
もちろん批判はありますね。我々は数字を扱っているし、計算もできる。
ではここで一つ質問です。「数字」や「計算」とは何か?
少し考えてみてください
数字は\(1,2\)というのをよく使いますが、これは結局アラビア数字という「文字」です。文化によって数字は異なります。
実際、感じでは「一、二」ですし、ローマ数字では「Ⅰ、Ⅱ」です。
そして計算ですが、かみ砕けばすべて「ものを数える操作」です。
\(3-1\)は「3個のものから1個なくす」ですし、
\(3 \times 2\)は「3個のグループが2つある。つまり合計6である」です。
数字と数字を別の数字にするという操作です。
これはつまり、数字は人間が都合よく作り出したものであり、計算もその数字で行っている以上、人類の中でしか成り立っていません。
そして、我々が認識している数字は「単位」がついています。個、m、時間・・・など。
あくまで「ものがあっての1」であり、本当の「1」の存在は想像でしかないんですね。
実際、直線は数学的には「太さのない永遠に伸びる線」と定義されていますが、我々は「定規で引いたまっすぐな線」としてとらえています。真の直線は実感できないのです。
自然数も1,2・・・と永遠に続く数と言いますが、この世界で一生続く数は存在しません。細胞の数も有限ですし、物質の原子の数も膨大な数ですが有限です。
つまり、自然数、整数、というものも存在せず、したがって虚数というのも当然存在しない。
という考え方がこちらにあたります。
数字としてとらえるか、概念としてとらえるかの差
長くなりました。これをまとめるとこうなります。
「虚数\(i\)は人類が1,2のように本来存在しない概念を見えるように勝手に解釈した数字である」
数字としては「存在し」できるけど、概念としては一生想像上で「存在しない」ということです。なんか宗教みたいですね。
ですが、数学はこのように「こういう認識でやりましょう」という「公理」や「定義」の上で初めて成り立つ学問です。
高校生では、シンプルに「\(i^2 = -1\)であり、回転にかかわる数字なんだ」と捉えておけば十分です。
ただ、「虚数」について深く考えてみたい場合はもう一度このページを読んで落とし込んでみてください。
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